東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)195号 判決
成立につき争いのない(中略)を総合すれば、請求の原因四の2及び3の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
右事実によれば、物質(2)を加水分解して物質(3)を製造することが、本願手続補正書提出の日である昭和四三年六月一九日以前に発表されたことを認めるに足る証拠がないとした審決は、事実を誤認したものであり、この誤認に基づいて本件特許第二発明についての無効審判請求は成り立たないとした審決の結論第一項は違法であり、その取消を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとする。
〔編註〕 本件における請求原因は左のとおりである。
審決の取消事由
審決の結論第一項、すなわち、本件特許第二発明について審判の請求は成り立たないとした部分は、審決指摘のスライドを昭和四三年四月二日開催の日本化学会第二一年会における講演の際に使用されたものと認められないとの事実誤認に基づくものであり、この違法は審決の右結論に影響を及ぼすものであるから、審決の結論第一項は取り消されるべきものである。
1 本件特許第二発明についての特許出願日が昭和四三年六月一九日とみなされることは、審決の理由1のとおりである。
2 原告浅井は、昭和四三年三月当時、財団法人石炭綜合研究所の理事長の職にあり、同研究所は、昭和四二年ころから、有機ゲルマニウム化合物の合成により制がん、老化防止等に薬効を有する物質の研究を行つていたが、昭和四三年三月三一日から大阪府吹田市千里山の関西大学において開催された日本化学会第二一年会において、同年四月二日、同研究所所属の訴外及川浩及び柿本紀博を通して、「β―シアンエチルトリクロルゲルマン誘導体の合成」と題する研究発表の講演(以下「本件講演」という。)を行つた。本件講演は、β―シアンエチルトリクロルゲルマンの誘導体に属する物質(1)、(2)及び(3)ほか四つの新規に合成された計七つの物質について、その製造方法、収率、物性等を発表することを主眼とするものであつて、審決挙示の引用例(甲第三号証の五。以下「本件講演予稿」ともいう。)及びスライドを用いて講演が行われたものである。しかして、本件講演予稿には、審決指摘のとおり、物質(1)を加水分解することにより物質(3)を製造する方法(以下「製法甲」という。)は記載されていたものの、物質(1)を塩素化することにより物質(2)を製造し、この物質(2)を加水分解することにより物質(3)を製造する方法(以下「製法乙」という。)は記載されていなかつたものであるが、右スライドのうちの一枚(検甲第一号証。その原稿が甲第五号証の一。)には、製法甲のみならず、製法乙をも開示したフローチヤートを記載していたものであつて、本件講演を担当した及川及び柿本においては、製法乙、すなわち本件特許第二発明と同一の方法について詳細に発表したものである。
3 本件講演予稿の原稿は、昭和四二年一二月末ころ、日本化学会に提出されたものであるが、原告浅井は、右原稿の作成その他の本件講演の準備にあたつていた柿本に対し、製法乙について本件講演予稿に掲載することを禁止していた。すなわち、当時、原告浅井の研究グループにおいては、幾とおりかの方法で物質(3)を合成することに成功していたが、原告浅井は、そのうち製法乙が純粋の物質(3)を製造するための最良の方法であるとの認識に立つて、物質(3)を医薬品として使用することを予定していたため、なお必要であつた生物試験を行つたうえ特許出願をする予定で準備を進めていたことから、講演に先立つこと三か月以上も前に提出する本件講演予稿の原稿に製法乙の発明を開示した場合には、不測の事態が発生しかねないことを配慮して、製法乙につき本件講演予稿への掲載を禁じたのである。
その後、右の生物試験も終了し、昭和四三年三月末までには特許出願ができる見通しとなつたので、本件講演において製法乙について発表することは差支えがないことになり、同年三月下旬に作成した本件講演において使用するスライドには、前記のとおり、物質(3)を製造する方法として最良のものと考えていた製法乙も含めたフローチヤートが記載されるに至つたのであつて、及川及び柿本においては、右スライドのフローチヤートをも利用して、本件講演を行つたものである。このように、講演予稿に記載された内容を、スライド等を利用して補充しながら講演を行うことは、学会における一般の慣行でもある。
なお、前記の特許出願は、原告両名を出願人として、昭和四三年三月二九日に同年特許願第二〇〇八五号をもつてなされるに至つたものであり、この明細書には製法乙の発明が開示されている。
4 したがつて、審決には前記のとおり事実を誤認した違法の点があり、これは本件特許第二発明について原告らの特許無効審判の請求は成り立たないとした審決の結論第一項に影響を及ぼすものであるから、審決の結論第一項は取り消されるべきものである。